ジェームズタウン財団の分析(2025年1月)によれば、中間線を越えた中国軍機の延べ機数は年々増加しており、2024年には過去最高の3,070機を記録した。

「Davis Line」の誕生:1955年の台湾海峡
台湾海峡における中間線(Davis Line)は、1955年に米空軍のベンジャミン・O・デービス・ジュニア准将(当時の第13航空任務部隊司令官)が提案した境界線である。台湾海峡のほぼ中央を南北に走る線で、座標は北端が北緯27度・東経122度、南端が北緯23度・東経118度付近を結ぶ。法的拘束力はなく、国際法における境界線でもないが、冷戦期において米国の台湾防衛戦略の一環として機能した。

その成立背景には、1950年代に相次いで発生した台湾海峡危機が関係する。
1949年の国共内戦終結後、台湾海峡は中華民国と中華人民共和国の対立の最前線となった。第1次台湾海峡危機(1954-1955年)では、中国軍が金門島・馬祖島への砲撃を行い、台湾が占領する沿岸島嶼の一部を奪還した。すると米国は1954年に米台相互防衛条約を締結し、台湾への支援を明確化した。
デービス准将はこの危機のさなか、交戦規則(ROE:Rules of Engagement)の一環として中間線を策定する。

その目的は、中国軍の航空機や艦艇が同線を越えて敵対行為を示した場合に米軍が迎撃可能とするための規定であり、偶発的衝突を防ぐ緩衝ゾーンとして機能させるためでもあった。中国側はこの線を「米国による干渉」と見なし、公式に認めることはなかったが、軍事力の格差から遵守を強いられた。
第2次台湾海峡危機(1958年)では、中国が金門島を砲撃し、台湾の補給ラインを遮断しようとしたが、米国は航空機を派遣して台湾を支援。米国との直接対決を避ける中国は、政治的なシンボルとしての砲撃に矮小せざるを得なかった。これらの危機を通じて、中間線は中台の軍事活動を抑制する暗黙の合意として定着することになる。米国はそれぞれに越境しないよう圧力をかけ、安定に努めた。
このような背景から、1990年代までは中国軍機の越境はほとんどなく、中間線は事実上の緩衝ゾーンとして機能した。しかし2019年以降の越境増加により、中間線の無効化が進んでいる。
中国の方針転換:「自制」から「積極的抑止」へ
中国は海峡の中間線を公式に認めず、冷戦時代の「負の遺産」と批判している。一方で、台湾海峡危機及びその後の散発的な中台間の衝突において、毛沢東は中国空軍に対し「沿岸部から出てはならない」と中間線を越えることを禁止していたと言われる。この自制は1990年代まで続いた。
しかし、情勢認識の変化に伴い中国軍の方針は転換した。1990年代の湾岸戦争や第三次台湾海峡危機の教訓から、台湾正面での空軍力増強に着手。従来の他方面からのローテーション展開に加え、空軍部隊の追加配備が開始され、フランカー・シリーズなどの戦闘機装備の旅団配備が進んだ。
習近平政権はこれらの動きをさらに加速させ、福建省の厦門(アモイ)・霞浦・武夷山などの航空基地を拡大、J-20をはじめとする最新鋭の戦闘機旅団を配置し、東部戦区のプレゼンスを大幅に強化した。こうした増強は、中間線越えに代表される中国軍機の活動拡大の基盤となっている。
近年の中国軍機による中間線越え増加の背景には、蔡英文政権の米台接近への反発と中国の空軍力増強がある。中国外交部は「中間線の不存在」を明言し、台湾海峡上空における活動範囲拡大を「正当な訓練」と説明する。中国にとっては、1990年代末まで台湾軍機は中間線を越える偵察活動を継続しており、情勢が逆転したにすぎない。
台湾側の危機感と今後の展望
他方で、台湾は中間線を「平和と安定の象徴」として重視し、中国軍機による中間線越えを「挑発」あるいは「グレーゾーン戦術」と非難する。2025年12月の「正義の使命2025」では90機の越境を「ハラスメント」と報告した。台湾が過去に行っていた中間線を超えた偵察飛行は「防衛上必要な措置」と主張しているが、この矛盾をどう説明するのだろうか。
蔡英文・頼清徳政権が米国との軍事的連携を強める中、台湾は中間線を現状維持のツールとして位置づける。2010年代から急速に強化された中国の福建方面における空軍力強化を脅威と見なして、地域不安定化の要因の一つと主張するなど躍起だ。
中国の中間線越えが「新たな常態」となった現在、偶発的衝突のリスクが過去に例のないほど高まっている。中国の空軍力増強が続く限り、中間線を超えた活動は引き続き高水準で推移することが予想される。歴史的な屈辱感と「一つの中国原則」に基づく中国の抑止戦略は、今後も台湾海峡の軍事バランスを規定し続けるだろう。

