今回のパージは孤立した単独の事件ではない。
2023年のロケット軍幹部(李玉超など)、2024年の李尚福(国防部長)・魏鳳和(国防部長。李尚福の前任)、そして2025年10月の何衛東(中央軍事委員会副主席)、苗華(政治工作部部長)の処分に続くものであり、中央軍事委員会メンバーは発足時の7名から2名にまで減った。この異常な事態は、習近平による軍統制が新たな段階に入ったことを示唆している。
注目すべきは、このパージの直後から「解放軍報」が連日にわたって重要な論説を発表したことだ。1月24日に新華社を通じて配信され、翌25日付解放軍報に社説「軍内腐敗との決戦、持久戦、全面戦に断固勝利する」が掲載されたほか、同28日には腐敗防止を呼びかける論評が取り上げられた。
これら記事は、今回のパージの背景にある人民解放軍の問題意識を理解する上で極めて重要な一次資料であるといえる。
解放軍報から読み解くパージの理論
二段構えの宣伝戦略
張又侠と劉振立の解任後、中国共産党は官製メディアを通じて、異なる対象にそれぞれメッセージを発信した。
第一段階は、1月24日付「新華社」での配信だ。1月25日付「解放軍報」の社説「軍内腐敗との決戦、持久戦、全面戦に断固勝利する」を、どういうわけか24日に新華社が報じて、張又侠らパージの正当性を国民に訴えた。
社説は張又侠と劉振立の「罪状」について次のように述べている。
「中央軍事委員会主席責任制を踏みにじり、党の軍隊に対する絶対的領導に影響を及ぼし、党の執政基盤を脅かす政治問題と腐敗問題を深刻に助長した」
「中央軍事委員会主席責任制の破壊」「党の執政基盤への危害」といった表現は、張又侠らを党と国家に対する重大な「脅威」として描き出している。新華社を通じた国民向けの発信は、パージが単なる内部処理ではなく、党中央の断固たる姿勢を示す「大捕物」であることを印象づける意図があるように思える。
第二段階は、1月28日付「解放軍報」の論評だ。論評は人民日報系の「中国共産党新聞網」にも転載され、共産党員らに本件の問題点を提示した。論評のタイトルは「面目を保ち、本分を守る」で、25日付社説の抽象的な政治スローガンとは異なり、具体的な問題の指摘に踏み込んだ。
これら二つの記事から、①国民(非党員)に向けて、張又侠ら「悪党」の摘発を成果として誇示②党員・軍人に向けて具体的問題を示し、さらなる規律強化を企図--という党の宣伝戦略が読み取れる。
特に後者からは、党中央が単なる「個人への処罰」ではなく、全軍引き締めと規律強化のモメンタムとして期待していることがうかがえる。
25日付社説の「助長」が示すもの
25日付社説の「罪状」説明では、「党の執政基盤を脅かす政治問題と腐敗問題を深刻に助長した」とされている。
中国語の「助長」は「助けて大きくする」という意味であり、これは張又侠らが自ら腐敗を作り出したというよりも、既存の腐敗を黙認し、それが拡大するのを許した、あるいは体制的に促したことを示唆している。
中央軍事委員会副主席という立場は、主席である習近平と軍組織の間のインターフェースとしての役割を持つ。副主席はこの地位の性質上、習近平に報告される情報を事実上コントロールする立場にある。
張又侠がこの構造的な優位性を利用して面従腹背し、問題を看過していた可能性は否定できない。「助長」という言葉の背景には、情報のフィルタリングと選択的な報告など構造的問題への批判が込められていると考えられる。

28日付論評が示す人民解放軍の宿痾
28日付論評は個人名を一切挙げていないが、張又侠と劉振立との隔離審査公表から僅か4日後のタイミングでこうした問題について細部にわたり言及することが、何を指しているのか想像に難くない。
中国共産党には、「一般論」の体裁を取りながら、文脈とタイミングで特定の人物を批判する伝統がある。論評の指摘で重要なのは、訓練の虚偽報告と装備調達の腐敗だ。
「訓練の風紀、演習の風紀、評価の風紀が不実とされる問題と傾向を断固整理し、練兵戦備における”水分”を絞り出せ」
「水分」という表現は、中国語で「水増し」を意味する。つまり、訓練成果の虚偽報告、演習結果の粉飾、戦備評価の偽装といった組織的な不正が軍内に蔓延っているということだ。実は、この問題は長年指摘されてきた。
胡錦濤以降、「実戦的訓練」が強調され始めた背景には、高官視察時の訓練展示が実戦とかけ離れているという認識があったとされる。現在では「雑技団」のような訓練展示こそ減ったものの、虚偽報告の構造は温存されているようだ。
こうした行為は最高指導部が部隊の現実の能力について誤認識を持つことに繋がり、ひいては戦略判断を誤るリスクが生じさせる。
人民解放軍腐敗の本丸
論評は、いわゆる軍産複合体についても「業界の積年の弊害である、軍と国防企業間の交流における管理を厳格にする」と装備調達のプロセスにおける汚職行為を批判した。
中国ではそもそも国営企業と民間企業の線引きが曖昧だが、これは軍需産業にも当てはまる。この「グレーゾーン」こそが腐敗の温床となってきた。調達担当者と企業の癒着、性能データの改ざん、不正な利益供与といった問題を、この一文は見事に言い表している。
論評の批判はこれにとどまらず、「親族と側近の工作人員を厳格に管理せよ」と戒める。中国共産党が「親族と側近」に言及する場合、往々にして高官家族による利権操作や縁故主義を暗示する。装備などの調達において、高級幹部の家族や側近が「仲介者」として機能して見返りに利益を得る構造も、長年指摘されてきた人民解放軍の問題だ。
「十項規定」と監査プロセス
25日付社説、28日付論評が示した内容は、具体的にはどのような規則に違反しているのだろうか。それを理解するには、人民解放軍最高幹部の規範である「中央軍事委員会における作風建設十項規定」の内容をと運用実態を知る必要がある。
十項規定は2012年12月、習近平が党総書記と中央軍事委員会主席に就任した直後に制定された。これは中央政治局が定めた「八項規定」(党幹部の倫理・行動規範)の人民解放軍バージョンで、中央軍事委員会メンバーの作風(気概や気風などの意)建設を目的としている。
名称のとおり同規定は10項目からなり、調査研究の改善、会議の簡素化、事務的活動の削減、文書の精簡、外国訪問の規範化、警護業務の改善、報道の簡素化、原稿発表の厳格化、接待業務の改善、そして清廉かつ自律の徹底を定めている。
この中で、今回のパージに最も関係するのは第10項だ。同項は①親族や側近の管理、②金品授受の厳禁、③装備調達や軍の事業といった経済活動への関与の禁止--など、端的に汚職防止を求めている。
そして、十項規定の規範性を担保するのが年次検査制度だ。中央軍事委員会のメンバーは毎年12月、遵守状況について検査を受ける。今回のパージが2026年1月に発表されたタイミングから、前月の年次検査が何らかの影響を与えたと見るべきだろう。
もちろん、毎年厳格に検査させているわけではないだろうが、2025年の検査が異例に厳格であった、あるいは習近平が特定の問題に焦点を当てるように指示した可能性はある。
これらのことから、今回のパージは突発的な政治闘争ではなく、制度化された監査プロセスの帰結、つまり習近平による「選択的執行」だったことが浮かび上がる。
制度的支配のパラドックス
厳格な規律を求める十項規定と、選択的執行を可能とする年次検査制度は中央軍事委員会メンバーを対象としたものだ。しかし、トップを縛る制度が人民解放軍の末端まで影響を及ぼしていることは想像に難くない。
劉振立の罪状とされた「訓練における虚偽報告」は、この構造の産物である。正直に問題を報告すれば処罰される環境に置かれている将校は、訓練成果を水増しする。これが常態化して、最高指導部は人民解放軍の戦闘能力に誤った認識を持つに至った。
習近平の狙いはこれら悪習の廃絶だったのだろうが、中央軍事委員会メンバー粛清などの統制が戦闘力向上に繋がるとは思えない。現在の人民解放軍は、汚職という宿痾に加えて、恐怖による統制と情報の歪曲という二重の病理を抱えていると言える。
人民解放軍はどこに向かうのか?
この問いに明確な答えを出すことは難しい。習近平の真意は台湾侵攻の準備かもしれないし、「軍権」掌握の強化、あるいはその両方かもしれない。
ただし冒頭で記したように、今回のパージを単独の事件として見るべきではない。
以前の記事(中:文末に掲載)で指摘したように、2015年以降の一連のパージは、軍閥時代に遡る縁故主義と腐敗構造の根絶、そして「党への絶対的忠誠」を持つ新世代エリートの育成という、習近平による人民解放軍の根本的な再編の一環である。
四総部の解体、7大戦区から5大戦区への大規模再編、30万人の兵力削減などはすべて、腐敗の温床を排除し、中央軍事委員会の直接統制を強化するための構造改革であった。張又侠・劉振立のパージは、この長期戦略の新たな一章に過ぎない。
習近平は「2049年までに世界一流の軍隊を建設する」という大きな目標に向けて、反腐敗闘争を通じた軍の浄化と再編を続けている。しかしその代償として、相互不信と士気低下、早期退役の増加という副作用も生じている。
問題は、このような状態の人民解放軍が期待される戦闘力を発揮できるのかということだ。
恐怖による統制と情報の歪曲という二重の病理を抱えた解放軍が、習近平の描く「党の剣」として、本当に戦えるのか。習近平は軍に対する個人支配を極限まで強化することに成功したのかもしれないが、その代償として「戦える軍隊」を失いつつあるようにも見える。
人民解放軍に吹き荒れれるパージの嵐 習近平の軍掌握と「紅いDNA」(前編)人民解放軍に吹き荒れれるパージの嵐 習近平の軍掌握と「紅いDNA」(後編)

